ミスアンダースタンディング・ダンシング 08

 早くから来たので、美術館を出ても昼食にはまだ少し早い。一人であれば近くの公園にでも行ってふらふら散歩するところだけれど、今日は山田二郎くんもいるし……。山田二郎くんと休みの日になにかをするなんて考えたこともないから、どうしたらいいのかさっぱり分からない。というか美術館を出たところでまた手を繋がれたのだけど、これもどういうことなんだろう……。拒否をするような度胸はもちろん無い。だけど、ち、近い、距離感が……。

「どっか行きたいとこある?」
「えっ!? えー、ええと……」
「いつもダチと遊ぶときってどういうことしてんの」
「そう、ですね……。さっきみたいに展示や映画を見たりだとか、あとはご飯やお茶してゲーセンに行ったり……。普通に……」

 普通だとは思うけれど、山田二郎くんのような不良の人のそれとは食い違っている可能性はある。恐る恐る答えながら山田二郎くんの様子を窺った。彼は気分を害した様子はなく、「へー」と軽く相槌を打つ。

「アンタもゲーセンとか行くんだな。なんか、意外っつーか」
「あ……、はい。友だちがクレーンゲームとかしてるのを見てるのがほとんどですけど」
「あ〜。……んじゃちょっと行ってみようぜ。プライズ見てえのもあるし」
「えっ、あ、はい」

 山田二郎くんがごく自然に歩き出したので、私は慌ててついていく。握られた手はそのまま。私に合わせて、ずいぶんゆっくり歩いてくれているような気がする。
 駅の方へ少し戻ったところにゲームセンターはある。山田二郎くんは慣れた様子で入口付近のクレーンゲームのコーナーへと直行すると、物色を始めた。私はというと、いつも友だちの後ろについて回っているばかりなのでよく分からない。ぬいぐるみやグッズは可愛いとは思うのだけど、こういうところでいっぺんに見るとワッと圧倒されてしまうのだ。

「なんか欲しいのある?」
「えっ……と、特には……?」
「んー……。じゃ、アンタはどういうの好き? 好きなキャラクターとかさ」
「えっと……。あ、この子は結構……好きです。色々見ますよね」

 私が指差したのは犬をモチーフにしたマスコットキャラのぬいぐるみだった。垂れた耳が特徴の昔からの人気キャラクターで、色んなコスチュームやポーズでグッズ化されているのを流行に疎い私でもよく見かける。

「ああ、コイツな! いいよな、コラボも色んなとこでしてっしさぁ。こないだ俺の好きなソシャ……、や、ワリ、なんでもねえ」

 言いかけてハッとしたらしい山田二郎くんが口をつぐんだ。いつもよりちょっとテンションが高そうだったのをすぐにスッと引っ込めて、普段通りの眉に力の入った表情に戻る。山田二郎くんも、キャラクターのコラボとか知ってるんだ。意外なような、確かに流行りのことなら色々知ってそうで納得するような。ぽけーっとしている私をよそに、山田二郎くんはクレーンゲームに小銭を投入する。

「多分イケんじゃねえかな。千円くらいで取れんだろ」

 角度を変えて覗き込みながらそう言うと、狙いを定めてボタンを操作し始めた。アームの爪がぬいぐるみに引っかかって少し動かしてを何回か繰り返す。なにがしかの試行錯誤をしているらしい彼は真剣そのものだ。「おっ!」硬貨を追加してすぐ、ぼすんと軽い音を立ててぬいぐるみが取り出し口に落ちてきた。わ、すごい。いつも友だちが取っている様子を思い返すに、これはすごく上手いんじゃないだろうか。

「へへ、ラッキー」

 得意げに笑いながら山田二郎くんがぬいぐるみを取り出した。そうしてそのまま当然のように私の方へと差し出す。

「ハイ。やるよ」
「えっ……。二郎くんもこのキャラが好きで取ったんじゃないんですか……?」
「なんでそーなるんだよ。アンタにやるって」
「え、え」
「……最初だからそのつもりだったから受け取ってくれねーと困るんだけど」
「あっ、……では……いただきます……。あ、ありがとう」

 押し切られるように受け取れば、山田二郎くんが「ン」と満足そうに笑う。な、なんだか今日はずっと山田二郎くんの態度がやわらかいような。これも不良の一面を忘れさせて油断させようという作戦なんだろうか。今日、最後になにかとんでもない要求を突きつけられたらどうしよう……。
 持ち帰り用の袋を慣れた手付きで差し出しながら、山田二郎くんがそわそわと視線を動かした。

「あのさ、そろそろメシに行かねえ? ……その、予約、取ってあって」
「エッ、予約」
「おう。あ、別に変なトコじゃねーから! 俺の知り合いの店で、女のコも多いって聞いてるし」

 ハイ、と条件反射のように頷きつつ、あ、これは終わったなと感じていた。山田二郎くんが予約したお店。ということは、きっと個室だったりするんだ。それで知らない怖い人が急に増えたりして、すっごく高い料金を請求されたり高価でよく分からないサプリを買わされたりするんだ……。
 一転して絶望的な気分で手を引かれるままについていく。連れていかれた先は、路地を一本入ったところにあるカフェレストランだった。大きなウィンドウから中の様子がよく見える。明るい店内には女性客の姿も多く、カジュアルに入りやすそうでオシャレな雰囲気である。普通だ。普通に素敵なお店だ。「ここ」そう言って店内に入る山田二郎くんに続いて、私も緊張しながら足を踏み入れた。

「あ、二郎くんいらっしゃいー! 奥の席取ってあるよ。ゆっくり使って」
「ちわっす。いきなりなのに用意してもらってあざっす」
「いやーいつもお世話になってるから、これくらいは。一郎くんと三郎くんにもよろしく」

 店員の男性と挨拶を交わすと、案内された店奥のテーブルに着く。メニューの価格は学生にも手の届く範囲で良心的だ。デザートセットなんかもあって、なるほど女性客にも優しいお店らしい。
 ワンプレートやパスタ、豊富なメニューの中、ランチのサンドイッチプレートを頼んだ……と思う。山田二郎くんともいくらか会話があったような無かったような気がするけど、正直なところよく覚えていない。ただひたすらいつも以上に警戒してガチガチに緊張していた。なにをどう食べたのかすら覚えていないほどにピリピリしていたのに、しかし構えていたようなことは一切なにも起こらなかった。冷静になってよくよく考えてみると、店内は明るく見通しがいいしそもそも座席だって余計に一人増えるほどの余裕はない席だった。ここは本当に普通のオシャレで素敵なお店で、私は無意味に気を張っていただけなのだと、店を出てからはっきり思い至った。

「……あっ! ご飯代! わ、私払いました!?」
「うおっ、ビビったぁ。あー、払ってたよ。なんかボーッとしたまま自分の分ちゃんと出してた」
「ボーッと……。ご、ごめんなさい。さっきの美術館の分もあったのに……」
「いーって。さっきも言ったけど俺が無理矢理着いてきたみてえなもんなんだから、これくらいさ。それより、……あんま好みじゃなかったか?」
「え?」
「店か、それかメシか。苦手な感じだったから、なんつーか、その……元気無かったのかと思ってよ」

 掛けられた気遣わしげな声にウッと言葉が詰まる。まったくおかしいところのない素敵なお店に連れてきてもらって、今日の山田二郎くんはずっと親切だった。どうして山田二郎くんがそんな風にしてくれるのかは分からない。だけど、まるで友人のように接してもらっていたのに、私の勝手な猜疑心で一方的にビクビクしていたのだとしたら、それはとても失礼なことなんじゃないだろうか。じくじくとした罪悪感が胸に押し寄せてくる。

「いえ、いいお店でした! ただ、私が緊張しちゃって……。それだけなんです、ごめんなさい、本当に……」
「……そっか。嫌じゃなかったなら、よかった」

 俯いて謝ると、山田二郎くんがふっと息をついた気配がした。まるで当然のように手を繋がれて歩き出す。今朝から今までの間だけで、こうすることに抵抗を覚えなくなりつつある自分にも驚いていた。

「俺も、緊張してる」

 山田二郎くんも緊張することあるんだ。どうして今緊張することがあるんだろう。彼の手に少し力がこもったのが分かるけれど、隣を見上げることはできなかった。
 夕方から家族とご飯を食べに行くことになっていたから、今日はそこで解散することになった。休みだし家まで送るという彼からの申し出は必死に断る。駅まで戻って改札の前、いつもほどに怖い表情はしていない山田二郎くんから少し離れて立ち止まる。

「それじゃ、今日はありがとうございました」
「おう。また連絡する。……っぶね!」

 いきなり強い力で腕を引っ張られて、そのまま彼の胸にぶつかった。鼻が潰れる痛みと肩を抱き込まれる感覚。後ろで大きな舌打ちが聞こえた。

「おい! 前見て歩けよな! 目ン玉付いてんのかよ!! ……悪い! 〇〇、大丈夫だったか!?」

 どうやら見知らぬおじさんにわざとぶつかられそうになったらしい。山田二郎くんは私の身体を離すと、顔を覗き込んで心配そうにしている。近い。今までで一番。さっきまで普通にできていた呼吸が、急に喉がねじれたみたいに変になってしまった。

「だい、大丈夫です。あの、わたし、この電車に乗らなくちゃいけないから。また、えっと、さよならっ」
「えっ!? おっ、おう、気ィ、つけて」

 ぺしんと改札にパスケースを叩きつけてホームに急ぐ。発車までまだ少し余裕はありそうだったけれど、駆け込むようにして車両に乗り込んだ。扉近くの手すりにつかまって息を整える。心臓が耳の近くまで移動してきたみたいにバクバクうるさいのは走ったからだ。体育以外でろくに運動なんてしない貧弱な体力のせいだ。だって、そうじゃなきゃあまりにも単純すぎる。こんな、少しかばってもらったからって山田二郎くんのことを好きになってしまうだなんて。


2023/08/11 初公開