ミスアンダースタンディング・ダンシング 07

 帰り道、「ど、土曜ってなんか、予定あるか?」と聞かれた瞬間におそらくまるっきり顔に出てしまった。いつも通り怖い様相だった山田二郎くんの顔が怪訝そうなそれに変わる。そう、予定ある。思いっきり。

「なんかあんの」
「えっと……、その、はい……」
「……それって誰かと一緒のやつ? 家族とか」
「いえ、あの、一人で……美術展に行こうかと……」
「ビジュツテン」

 私の好きな近代画家の展示が東都にきたのだ。あまり有名な画家ではないので規模はそう大きくないが、それでも絶対に逃したくない機会である。友人を誘ってもみたのだけど、残念なことに先まで見てもことごとくに予定が合わない。このままでは展示期間が終了してしまいそうだったので、一人でもとにかく行くことにしたのだった。

「ひ、とりならさ、お、俺も一緒に行っていいか?」
「エッ」
「だっ……、ダメなのかよ」

 ぎゅうと眉根に力を込めながら睨まれる。こ、怖い。山田二郎くんのこの顔にはちっとも慣れることができない。返答次第ではどうなるか分かってんだろと念を押されているのがビシビシ感じる。この顔をされると、もう私には断ることができなくなってしまう。

「わ、分かりました……。それじゃあ、行きましょうか……」
「おっ、おう! な、それってどこでやってんだ?」
「えっと、シブヤの方にある美術館です。そろそろ会期後半だから午前中早めから行こうかと思ってたんですけど……」

 駅に朝九時待ち合わせ。そういうことに決まった。山田二郎くん、美術に興味があるようにはあまり見えないけれど、どうして……。約束をしただけなのにすでに心臓が痛くなってきた。うぐぐ。


 そして土曜日、当日。天気はほどよく晴れて、美術鑑賞を堪能してから余韻に浸りつつ散歩するには絶好の日和といえる。山田二郎くんと二人で行くという状況でなければ、もう少し晴れやかな気持ちでいられたかもしれない。
 駅についてみると、まだ約束の10分前だった。休日ということもあり人が多い。改札から出てすぐあたりを見回すと、少し離れたところでスマホを操作している山田二郎くんの姿が目に入った。背が高いので遠くからでもすぐに分かる。細身のパンツにシンプルな青いオープンカラーのシャツを着ていて、なんだかいつもより大人っぽい雰囲気に見えた。普段の制服姿しか知らないのでちょっと新鮮な気もする。

「ごめんなさい。待たせちゃいましたよね」
「ぅおッ!?」

 私が声をかけると、山田二郎くんは大げさなくらい肩を跳ねさせた。近くに来るまで気付いていなかったらしい。私は平均的身長だし無理もない。

「あ、いや、べつに、待ってねーよ。全然」
「そ、そうですか? まだ約束の時間の前だったから……。そういうところ、しっかりしてるんですね」

 不良というと時間にルーズそうというイメージがあったから意外で、思わず口に出してしまった。あ、でもちょっと偏見がすぎるだろうか。そうじゃなくてもどことなく嫌味っぽかったかもしれない。やってしまった、という気持ちでそっと彼を見上げると、山田二郎くんは視線を反らしてなんだか落ち着きなさそうにしていた。少し顔も赤い気がする。今日も暑いから、待ってないというのはおそらく本当なんだろう。

「べ、つに……、普通だろ。つうか、アンタこそ早いし、」

 目が合って、山田二郎くんの視線が素早く上から下に何往復かした。「その……、かっ……」なにかを言いかけるけれど、ぐ、とそのまま言葉を飲み込んでしまう。えっ? なに……? こういうのをスルーして因縁つけられるのも怖いな……と思ってそのままじっと待つ。肩で大きく息を吸い込んで、彼はようやく言葉を吐き出した。

「あ、アンタ今回の展示、楽しみにしてたんだよな!? 早く行こーぜ! な!」
「はっ、はい! わっ」

 山田二郎くんの有無を言わさぬ勢いに気圧されて、私は慌てて返事をする。そうして彼の手が伸びてきて、私の手を掴んだ。ずんずん進む彼に必死でついていく様はやっぱりどこか連行っぽい。

「あっ、わ」
「あ……、わ、わりィ」

 思わずつんのめって転びそうになったところを、山田二郎くんが腕を引っ張って助けてくれた。ち、力が強い。早く歩きすぎていたことに気付いたらしく、掴まれていた手が繋ぎ直される。ふつうの、友だちともするような繋ぎ方。もちろん男子とこんなことするのは初めてだった。ぬるい空調の屋内なのに触れ合った手のひらはひどく熱い。骨ばっていて大きい、男の子の手だ。

「…………」
「…………」

 お互いになにもコメントをしないまま歩きだす。今度は私のペースに合わせてくれているらしかった。
 美術館は駅からさほど遠くなく、歩いて十分ほどの距離にあった。私がバッグの中を探っている間に、「コーコーセー二枚」と山田二郎くんがサッとお金を払ってしまう。

「え、あ、自分で出します」
「いーから。ほら、学生証見せろって」
「あ、ハイ、これ……。……あの、あとでちゃんと払います」
「マジでいーって。……あ、じゃああとで飯食うときちょい多めに出してくれよ。それでチャラな」
「わ……、わかりました」

 静かな美術館の入口でこの前のように揉めるのもどうかと思い、今回は素直に従うことにした。流れで了承してしまったけれど、ご飯も一緒に食べに行くのか……。本当に友達と遊ぶときみたいな感じだけど大丈夫なんだろうか……。いや、楽しみにしていた展示なんだ。よく分からないことはいったん忘れよう。
 期待していた通り、展示はとても素晴らしいものだった。画集で見るのも悪くはないけれど、やっぱり実物を見るのには及ばない。絵の具が放つ独特の色合いだとか、キャンバスの上で踊るような筆致だとか、そういったものが目の前にあるというだけで感動してしまう。好きな作家のものだから尚のことだ。

「はぁ〜……」

 隣に人が立つ気配がして、そういえば山田二郎くんと一緒に来ていたのだったとようやく思い出す。夢中になりすぎた。ちらりと見上げてみると思いがけずばっちり目が合った。山田二郎くんが穏やかで優しい顔をしていたので肩が跳ねる。そんな顔初めて見た。いい絵には不良にもそんな顔をさせる力があるのか。

「ご、ごめんなさい。一人で楽しんでしまって……」
「いや、俺が無理矢理ついてきたみてえなもんだし……、それに、」
「?」
「アンタがマジで楽しそうな顔してっから。俺も楽しいよ」

 ゆるんだ瞳には嘘はないように思えた。な、なるほど……。山田二郎くんがモテている理由は単に顔がいいからだけじゃなくて、こういうことをサラッと言っちゃうところにもあるんだろうな。私も思わず照れてしまいそうになる。
 そのまま再び黙ってゆっくりと展示を見て回った。思ったほどに人は多くなく、休日の割にじっくり見て回ることができた。最後の展示室を出て、山田二郎くんの方を顔を向ける。

「最後に、ショップに寄っていいですか? ポストカード欲しくて」
「おう、いいぜ」

 お値段で少し迷って、だけど結局欲望に任せて図録も買うことにする。ポストカードはどれにしよう。う〜ん、今回のポスターにもなっていた絵と、見ていて特に気に入った絵の二枚に決めた。手に取ったポストカードと同じものを、横から伸びた手がひょいと抜き取っていく。

「や……二郎くんも買うんですか?」
「ウン。アンタほどこの絵のよさ? っての分かってねーと思うけどさ。今日の記念っつーか」

 そう言って手元の二枚に目を落とした山田二郎くんが、一人言のような音量で呟いた。

「……お揃い」

 聞こえてしまった。山田二郎くんのこういうところ、モテるのも分かるを通り越してちょっとズルいんじゃないかなとこっそり思う。


2023/07/17 初公開