ミスアンダースタンディング・ダンシング 06

 結論から言うと、山田二郎くんが怒ることはなかった。奢ったことを貸しにしてなにかを要求されることも、今のところない。それどころか私が反抗したとすら思っていないようで、翌日「昨日はすみませんでした……」とそろそろ切り出す私に「なんのことだよ?」と彼は首を傾げたほどだった。
 いよいよ私と山田二郎くんの関係はなんなのだろう。想像していたような恐ろしいことは何もなく、それがかえって不気味さを加速させる。山田二郎くんの目的が分からない以上、いつ何時にどんな恐怖が襲ってくるか分かったものではない。この謎の関係もそろそろ一ヶ月になり、なんだか最近は山田二郎くんが横にいるのにも慣れたように感じて油断してしまうこともある。これはよくない。私にはまだなにも起こっていないとはいえ、山田二郎くんが不良であることに変わりはないのだ。

「聞いた? 2年の山田くん、昨日10人くらい相手に大喧嘩したらしいね」
「ヒエ……」

 ほら、このような話も出てくるわけであるし。なんでもウチの生徒がカツアゲされているところに偶然通りかかった山田二郎くんが割って入って揉めているうちに、相手の方がどんどん増えていって大変なことになったらしい。それなのに周りの誰かが通報する前に山田二郎くんがみんな伸してしまったというから驚きである。こうして噂にはなっているけれど警察沙汰にはならなかったので、学校側からの処分なども無いようだ。話の最初っから最後まで治安が悪すぎる。まるで別世界の話のようにすら思えるほどだ。

「すごいよねえ……。山田くんって今カノジョいるんでしょ? カノジョの人はこういうのイヤじゃないのかな」
「ど、どうだろうね?……普通、カノジョの人ってそういうの嫌なものなの?」
「ん〜〜、イヤっていうか、心配だったりはするんじゃない? それか、あれかなぁ、喧嘩してるとこも男らしくてカッコイイってなるタイプなのかも」
「はあ〜……、なるほど……?」


 いつものように(いつものように、になってしまった)帰り道で山田二郎くんと会う。彼はまったくいつも通りの鋭い目つきにちょっと眉根を寄せた怖い顔をしていた。昨日大立ち回りをしたとは到底思えない。友だちから噂を聞いていなければ、きっと山田二郎くんがそんなことをしていたとはこれっぽっちも想像しなかっただろう。
 並んで歩く道もすっかり夏めいて、隣が山田二郎くんだという理由からだけじゃなく汗が滲むようになってきた。大きな太陽から容赦なく降り注ぐ日差しが眩しい。移行期間を過ぎて夏服にはなったけれど、夏の盛りが今から恐ろしくなってしまう。そこで、ふと隣を歩く山田二郎くんの半袖から伸びた腕に目が留まった。しなやかで男子らしい筋肉がついた腕の、服に半分隠れそうなところ。そこに大きめの絆創膏が貼ってある。山田二郎くんは移行期間に突入して早々に夏服になっていたけれど、前一緒に帰ったときには無かった……、と思う。

「な、なに見て……、アッ!」
「怪我、したんですか? ここ」
「いや、コレは、その……ッ」
「昨日喧嘩をしたって……」
「うぅ……っ!」

 言い淀みながら目を逸らされる。ということはあの噂は本当なんだ。漫画の中だけの話だと思っていたようなことを実際に目の前の人がやったようだという事実がじわじわ浸透して、動揺が隠せない。だってあんなの絶対に現実になってほしくないタイプのフィクションでしょ。すくみあがってしまう。

「あれは絡まれてるヤツがいたから仕方なく……、……イヤ言い訳はダセェよな。悪い……」
「あ、いえ、べ、別に……?」

 別にってなんだ、と自分でも思いながら、でもなんて言うのが正しいのか分からない。

「アンタは、……嫌だろ? その、ケンカとか」
「それは……、まあ、はい」
「だよなァ……」

 そうして彼はむっつりと黙り込んでしまい、会話はそれっきりだった。歩きながらこっそりと盗み見た山田二郎くんの横顔はとても静かで、年下なのが嘘みたいにひどく大人びて見える。その日は彼の怖さよりもその横顔の方が不思議と印象に残った。


2023/05/10 初公開