ミスアンダースタンディング・ダンシング 03

 朝起きて家を出るまでのルーティーン、いつも使う交通機関の時間。みんな大体決まってるから、教室にやってくる順番もおおよそいつものパターンというものがある。私は真ん中よりちょっと後ろくらい。靴箱で多少混雑するときもあるけれど、ちょうどよく人並みに乗って登校するのが結構好きだ。なんというか、ちゃんと社会の一部になれている気がして。
 チャイムが鳴るまで、廊下で他クラスの友人と話してる人たちがそこかしこにいるのはいつものことだ。だけどなんだか今朝は様子が違った。どことなく空気が重い。悪いニュースでもあったのかと思いながら教室に入ると、窓際に泣いている子がいてギョッとした。いつも元気がよくて私なんかとも雑談してくれたりする社交的なあの子。数人が肩をさすったりして慰めている。

「〇〇、おはよ」
「おはよう。……なんかあった?」

 席まで来てくれた友人に、ここぞとばかりに声を潜めて聞いてみる。うっすらとでも校内のゴシップを知っておくのは大事だ。変に地雷を踏みたくはない。

「あー、結構おっきい声で話してたから聞こえちゃったんだけど……。山田二郎くんっているじゃん。2年で、DRB出てる」
「う、うん」

 あまり聞きたくない名前が出てきて少し動揺する。顔に出てなければいいんだけど。ちらっと窓際に目をやった友人が、顔を近付けてもうひと段階声を小さくした。

「今朝もお弁当持って行ったんだって。だけどそれが断られたらしくて。しかも他の差し入れ持ってきてた子も全員」
「え、そう……なんだ」
「ただ断られただけだったらまだマシだったかもだけどさあ……。彼女ができたからもう受け取れない、って言われたって」

 がしゃ、と音を立てて持っていたペンケースを思わず落としてしまった。机に着地したのでそう大きな音が出なかったのは幸いだ。「へっ……、へぇ~……」あまりに空々しい相槌を打ちながら、内心では冷や汗が止まらない。

「今まで誰がコクったりしても誰とも付き合ってないみたいだったのにね。そんな素振りも無かったらしいのにいきなりだから、ガチ恋勢は今みんなあんな感じっぽいよ。ミーハー勢は彼女ってどんな子なんだろうの話で持ち切り」

 あんな感じ、というところで友人はもう一度窓際を見た。もうだいぶ涙は止まってきているみたいだったけれど、泣きはらした顔なのはすぐ分かる。ハンカチを握りしめて、数人と一緒に教室の外へ連れだって行った。きっと顔を洗いに行くんだろう。友人がいつも通りの他愛ない雑談を振ってくれていたのに、その後は話の半分も入ってこなかった。
 自分のことで精一杯で、まさか山田二郎くんが差し入れを断るような事態になるなんて予想もしていなかった。山田二郎くんは女子とあんまり話さないというのはうっすら知っていたけど、もしかして差し入れとかも実は迷惑に思っていたんだろうか。それで、断る口実に彼女ができたことにしようと思い立って、ちょうどよさそうだからついでに色々使ってやろうとなったとか……。い、いやでも本当に山田二郎くんに彼女ができた可能性はある。実はそういう子が学校外にいるのかもで、今日みんなの噂になってるのは私のことじゃないのかも。……もし私のことで、それがみんなにバレたらどうしよう、どうなるんだろう……。
 胃がキリキリと痛むような気がして、その日一日は何にも集中できずに過ごした。


 昼休みを過ぎても放課後になっても、山田二郎くんからの連絡はなにもない。拍子抜けなような、助かるような、嵐の前の静けさに思えて怖いような……。あんまり学校でぐだぐだ残ってると変にボロを出してしまうような気がして、早めに帰宅しようと準備をしておく。課題の提出を取りまとめる当番だったので即帰宅とはいかなかったものの、そのおかげで即帰宅組とも微妙に時間がズレて助かったかもしれない。半端な時間であれば、山田二郎くんとうっかり鉢合わせてしまうこともないだろう……。

「お、今日は早いじゃん」

 前言撤回。校門を出て少ししたところで、横から現れた山田二郎くんに肩を叩かれた。こそこそとした気分だったのもあって大げさなくらい飛び上がってしまう。

「こっ、こんにちは。え、ど、どうして」
「アンタ真面目そうだし教室でスマホ見ねーかもって。それなら直接会った方が早いだろ」

 休み時間にスマホくらいは普通に見る。山田二郎くんの中で私のイメージはどうなっているんだろう。
 当然のような顔をして、彼は私の隣に並んで「行こうぜ」歩き出した。そうであってほしくないと思ったけれど、やっぱり私のことを待っていたらしい。さっきよりも憂鬱な気持ちで再び歩き出す。

「……あのさ、俺と付き合ってるのがアンタだって、学校じゃあんま言わねえ方がいい……、よな?」

 お互いに無言でもくもくと歩いてだんだんと気まずくなってきたとき、ふと山田二郎くんが話しかけてきた。彼女というのは私のことで間違いないらしい。石を飲み込んだような重い気分になりながら、そういう判断を私に委ねてくれるのが不思議だった。飴と鞭の飴部分ということだろうか。このあとどんな鞭がくるのか、想像もしたくない。

「そう、ですね……? できれば、そうしてもらえると……」

 助かります、のところは半分飲み込んだみたいなはっきりとしない返事だったけれど、山田二郎くんは「だ、よな」と納得した様子だった。話しかけても大丈夫だろうかとドキドキしつつも、気になっていたのでつい聞いてしまう。

「あの、彼女ができたからって差し入れを断ったって……」
「あー? ンなの当然だろ。そういうのは、ハッキリさせとかないといけねーし……」

 歯切れ悪い答えを最後に、会話が終了してしまった。妙な沈黙と、並んで歩いているところを誰かに見られてしまうのではという緊張でひどく居心地が悪い。肩を小さくして視線を斜め下に置いていつもより少し早いペースで歩く。

「じゃあな、気ィつけて帰れよ」

 学校の最寄り駅に着いて昨日と同じセリフを言うまで、山田二郎くんもずっと黙ったままだった。
 彼が乗りもしない電車のために駅まで来たこと、覚悟していたような命令はなにもされなかったこと。それらに気付いたのは、家に帰りつきようやく安心してベッドに倒れ込んでからのことだ。


2023/01/27 初公開