ミスアンダースタンディング・ダンシング 01

 彼が入学して一ヶ月くらい、つまり去年のゴールデンウィークごろにはもうこの状況になる土台がほとんど完成していたと思う。贔屓目ナシに顔もスタイルもよく、その上運動神経バツグンの男の子、山田二郎くん。彼が入学してきたことは、本人の耳には入らないように、しかし確実に上級生の間でも話題になっていた。かっこいいよね、えー年下だよ、でもかわいくない、なんてミーハーな声をそこかしこで聞いた気がする。一度彼が校内で暴力沙汰を起こしたとき、あのときだけは興味の質が一瞬変わった。しかし事情を聞くと、クラスメイトをかばったのが事の発端だったらしい。イジメにも繋がりかねない過度なからかいの文句を山田二郎くんが咎めたところ、言い争いがエスカレートして殴り合いにまで発展してしまったのだという。そういう事情で喧嘩両成敗ということになり、暴力沙汰に関わった人たちへの処分は結局軽いものに終わった。そして「友情にも篤いなんてステキ」とかなんやかんやで、山田二郎くんの人気もうなぎ登り。アプローチをしにいった女子への対応が初々しくてカワイイとかで更に好感度倍率ドン。更にクラスマッチで、DRBに参加して……、などなどエピソードは枚挙に暇がなく、とにかく山田二郎くんは校内でも有数の有名人になったのであった。
 しかしいかに山田二郎くんが有名人といえども、私にとっては関係のないことだった。山田二郎くんの周囲にはいつも男女問わずたくさんの人がいる。それらの人たちはほとんどが運動ができたりだとかコミュニケーションが上手いだったりとかの、いわゆるカースト上位の人たちだった。つまりは休み時間にも教室の隅で数少ない友人とひっそり話したり、黙々と本の世界に没頭しているような私とは別世界の人々である。普段そういうグループに所属してない人の中にも山田二郎くんにお弁当やお菓子の差し入れをしている人がいたけれど、そんな積極性がある時点でやはり私とは一線を画す人種に違いない。私は恋愛ごとは今はフィクションで十分と思っているのもあるし、それ以上になにかにチャレンジして失敗することが恐ろしかった。失敗したときにアドリブやフォローを上手くできるたちじゃないのは自覚している。一度入ったヒビを修復するのが難しい人間関係というフィールドとなれば、なおさら行動を起こすのに二の足を踏んでしまう。それにそもそも私と山田二郎くんとではあまりにも住む世界が違いすぎる。言い争いがエスカレートして殴り合いになるってなに? ちょっと私には理解できない話である。山田二郎くんだってきっと私の言動を意味が分からないと思うだろうし、ろくに接点もない上級生の女のことなんて認識もしていないに決まっている。お互いに関わり合いになることは無いだろう。少ない友人を大事にした穏やかな学校生活。そういうのだって大事なはずだ。私は私の平穏な日常をしっかり抱きしめて生きていくぞ。


 ……という風に思っていたのに、放課後の人通りの無い廊下で、何故か山田二郎くんに呼び止められていた。

「ちょっと今いーすか」

 疑問形ではない、いいよな、と言わんばかりの声音に内心縮こまる。言葉を交わすのはもちろんこれが初めてだ。呼び止められるような覚えは一切無い。

「ゃ、あの、用事が」
「あんの? ここ一人で通るってことは図書室行くだけだろ、アンタ」
「ひぇ」

 確かにこれから図書室でのんびり過ごそうと思っていたけれど、どうしてそんなことがバレているんだ。すくみ上がった様子をどう捉えられたのか、「んじゃ、こっち」と山田二郎くんはずんずん歩き出す。この背中についていかないわけには……、いかないんだろうな、やっぱり。無視をした後が怖すぎる。
 放課後の専門教室棟には人気が少なく、最上階はほとんど無人と言っていい。一番上の踊り場までノンストップで登りきってから、ようやく彼は足を止めた。脚の長い山田二郎くんよりも歩幅の狭い私は階段をやや小走りでついてくる羽目になったが、もちろんそれに文句を言う勇気はない。くるりとこちらに向き直る彼にバレないように息を整える。

「あのさあ、俺と……、つっ、付き合えよ」

 付き合えよ。付き合え。付き合う……? 言葉がうまく頭に馴染んでこない。付き合う。普通に考えると男女交際のお申込みかと思うけれど、山田二郎くんと私には今まで全然まったく接点がなかったわけで、それでいきなり交際を申し込まれる理由なんて何も思い当たらない。

「ひ、人違い、とかでは」
「は!? ンなワケねーだろ! 3年の**〇〇サンだろ、間違うかよ」

 合ってる。一縷の望みは絶たれてしまった。
 しかし、山田二郎くんの態度も……、明らかに交際を申し込むときのそれではない。眉根を寄せて目を細めて、どう見てもギンギンに睨まれている。片足に重心を乗せて少し顎を上げた立ち方は、彼の長身との相乗効果で非常に威圧感を醸し出していた。アウトロー映画の喧嘩売ってるシーンで見たことあるやつ。いざ目の前で再現されると、正直めちゃくちゃ怖い。
 初めてこうして正面に立ってみて、改めて肌で感じた。山田二郎くん、私と住む世界が全然違う。バリバリのヤンキーだ。そんな人がこの態度で、ゴリ押しで丸め込めそうで気の弱そうな女に付き合えよなどと言う。察するに、これは……、もう駄目だ。間違いなく目を付けられてしまった。きっと今後「付き合ってんだからいーだろ」とか言われて、パシリにされたり財布にされたりするに違いないんだ……。

「どーなんだよ。付き合ってくれんの」

 山田二郎くんの声は低くてぶっきらぼうで、いかにも不機嫌そうだ。むっつりとした口元も鋭い視線も、断ったらどうなるか分かってんだろうなと言わんばかりである。「ひゃい……」なんとか捻り出した声はこれ以上ないほどに震えている。ひどく情けないその音は、まるでこれからの私の行く末を暗示しているかのようだった。


2023/01/20 初公開
前からちょくちょくツイッターで呟いていたやつをちゃんと固めようという意志